FC2ブログ

日々平穏

二次小説とか日記を気まぐれに書いてみるつもりです。

闇の旅路 14

 
 初めての起動は、未だ無数のコード類がそこかしこに繋がれた状態だった。
 あの頃は、カメラアイから受け取る情報はデータと呼ぶに相応しいもので、それを自身に組み込まれたデータと照合する事が私にとって世界の認識方法だった。
 

 
 けれど、ある日を境にそれは崩れた。
 周りから得るものが、データと呼ばれるものから全く違うものへと変化したのだ。
 記録は記憶や思い出へと、視覚情報は風景へ、音声データは声や音色に、他にも色々なものが変化した。世界、というものをより鮮やかに感じられるようになったのだ。
 
 それは、喜ばしい事だったのだろうか?
 
 そういえば、それをはっきりと、つまりは世界が色鮮やかになった事が自覚できるようになったのは何時からだろう。
 おそらくは、自分の周りにいるのが仕えるべき人達ではなく、家族だと自覚できた時だったと思う。あの人を父と、そう、父様と本心から呼ぶ事ができるようになったあの日からだ。
 あの日、あの時、あの人を父様と呼んだあの瞬間を私は忘れない。
 自分で考える事を覚え、自ら行動する事を選択し、己の意思で道を進む。
 それができるようになった時のマスターの満足そうな笑みを、私は忘れない。決して、忘れない。
 
 だけど本心を言えば、機械の身であるはずの自分が心を得る事が本当に良い事なのかは、私には判断がつかない。
 けれど、これだけは確実に言える。
 私は、今の自分が置かれている状況を手放したいとは思わない。
 願わくば、家族と呼ばれる人達とずっといっしょに居たいと思う。適わない想いかもしれないが、そう願わずにはいられない。
 
 
 
 エヴァンジェリンは目の前の光景に、隠し切れぬ程の苛立ちを感じていた。
 新しいコンセプトで開発を進めていたそれは、現時点での一般的な技術力を鑑みれば、異常としか言い様のないレベルの仕上がりを見せている。それは科学にあまり詳しくない彼女でも十二分に理解していた。さらに言うなら、目の前で繰り広げられるやり取りがどれほど高いレベルなのかも当然理解していた。
 だが、頭では理解してはいても、起伏のない声が耳に届く度に、心中は納得とは程遠い境地へと誘われていく。
 「どしたネ。今日はまた、一段とゴキゲンナナメみたいネ」
 この場所の主ともいうべき一人、お団子頭の少女の独特なイントネーションの言葉に呼応するように、眼鏡と白衣が特徴的なもう一人の少女も口を開く。
 「そうですよ、エヴァさん。そんなに不機嫌な顔をしてたら、茶々丸も怖がっちゃいますよ」
 かといって、茶々丸と呼ばれた存在が実際に恐怖という感情を持ちうる事はない。なぜなら件の少女は、未だ体中から無数のコードを覗かせているロボットだからだ。
 いや、正確にいうならガイノイドなのだが、エヴァンジェリンからしてみればそれに関してはどちらでも大した違いはない。
 「本当にどしたネ」
 この場に顔を見せてからこっち、絶え間なくエヴァンジェリンから発せられる酷く不機嫌なオーラに堪らず口を開いてしまった彼女達だったが、その意に反して聞こえてきたのは舌打ち一つ。
 なんと声を掛けられようとエヴァンジェリンは不機嫌な態度を改める事無く、ただ黙って茶々丸を凝視し続けるのみだった。
 エヴァンジェリン自身にも、どうしてこれ程までに目の前の光景に苛立つのかがはっきりしていなかったが故の態度だったのだが、周りとしてはいい迷惑である。
 どんな事でもいいから、不満があるなら言葉にして欲しい。
 ピリピリとした空気に必死に耐える2人の少女は、心中でひとえにそれだけを願う。
 しかしながら、無情にもその希望は叶えられず、誰一人として言葉を発しないまま時計の秒針を刻む音と、機械の唸るような動作音だけが空間を満たしていく。

 ―――― カチコチ、カチコチ、カチコチ、カチコチ、カチコチ

 下手に発言が出来ない重苦しい雰囲気は、意識してしまうと余計に辛く感じる。そんな過度の緊張の中、白衣の少女の頬を一筋の汗が伝い落ちる。
 そろそろ限界、そんな単語が少女達の脳裏を掠めかけたその時、漸くエヴァがこの場所に訪れて始めて言葉を発した。
 「……茶々丸は、どこまで成長できる?」
 だが、エヴァンジェリンから出てきた言葉はたったこれだけ。
 確かに2人は不機嫌な理由を求めてはいたが、その言葉はあまりにも抽象的すぎた。
 天才という名を欲しいままにするお団子頭の少女にてしも、一瞬何を聞かれているのか解らず呆けた表情を見せてしまう。しかし悩むこと数秒、すぐさまエヴァンジェリンの見据える視線から、発した言葉の真意を察したのだろう。彼女が求めるだろう答え寸分違わず提示してみせた。
 「成長、という言葉が当て嵌まるかは疑問アルが、膨大なデータを蓄積する事によて幅広い対応は可能になるはずネ」
 「その言葉からすると、パターンという枠を破って自ら考え行動する、という事は不可能という事か?」
 「そうネ……確かに自ら意思で行動をするという事は難しいかもしれない。けれど、その可能性が全くないという訳ではないヨ」
 ある意味、科学者達の到達点ともいえる結果を求めるエヴァンジェリン。彼女の言葉が意味する内容へと至る可能性は、少なく見積もったとしても天文学的な確率にだろう。
 しかし、その結果を求めたくなる気持ちは解らなくはない。気持ちは解らなくはないが、どうして唐突にそのようなものを求めるようになったのかが2人には皆目検討もつかなかった。
 つい先日までは、科学の進歩に一喜一憂とまでは言わないまでも、それなりに好意的な反応を彼女は示していたはず。
 それが、何故に突然こうなってしまったのか。
 2人には理解できなくとも、当然エヴァンジェリン自身には心当たりがあった。
 怪訝そうな視線を感じながらもそれを意識的に無視し、自身の苛立ちの原因をはっきりとさせるべく、彼女は最近目まぐるしく変化した自らの周囲へと意識を傾けた。
 するとやはりというか、真っ先に彼女の頭に浮かだのはテンカワ・アキトだった。復讐に彩られた彼の生き様、そしてその存在感は彼女の脳裏に焼きついて離れない。
 さらにそれに付随するように出会った2人の存在。
 ラピス・ラズリとオモイカネ'。
 彼女等はアキト程に強烈なインパクトはなかったが、それでも2人の持つ特異性は群を抜いている。
 特に人の如く振る舞うAIの存在に対して、エヴァの感じた驚きは非常に大きかった。
 ごく最近の出来事とはいえ、それらを反芻するにつれ、エヴァンジェリンは自身がどうしてこれほどまでに苛立ちを覚えたのか、その理由がはっきりと形になっていくのを感じた。
 そして、最終的にある一つの単語に行き当たる。

 ―――― AI

 そして、それこそが答えだった。
 だが、どうしてAIという言葉が原因たりえるのか。
 それは、エヴァンジェリンの目線から見た現代科学に対する認識に起因する。
 そもそもエヴァンジェリンは非常に現代科学に対して疎い。そんな彼女が茶々丸やダッシュといった最先端の技術に関して説明を受けても、理解できる事は僅かばかり。それも昔とはだいぶ変わった、などという大雑把な感想を抱く程度だ。
 そんな彼女だったからだろう。茶々丸もダッシュも同じAIというシステムで思考を成り立たせているのに、どうして最終的な結果にこうも違いが出てしまうのかと疑問を持ってしまったのは。
 実際のところ、ダッシュと茶々丸に搭載されているそれは、AIというシステムの名称が同じなだけであり、2つの間には隔絶たる技術の差が存在する。だが、科学に疎いエヴァンジェリンにはそこまで察する事はできなかった。
 故にこう考えてしまったのだ。
 同じシステムで思考するはずのダッシュは人と同じ様に学び、成長し、心を育む事ができるのに対し、どうして茶々丸にはそれができないのかと。
 無茶も甚だしい考えだが、そんな呆れるような内容こそが、本日のエヴァンジェリンが不機嫌な理由だった。
 個人的に納得いく結論に至ったエヴァンジェリンは一息つく。
 不機嫌の原因を突き止めてみれば、殊のほか単純な内容だった事に苦笑が漏れる。そして、付随してある提案が浮かんだ。
 満足いく結果が得られないなら、自分でその結果を持ってこればいいと。
 「超、もし……もしもだ、私がより優れたAIを茶々丸の為に提供できる、と言ったらどうする?」
 「何言ってるネ。茶々丸に積んでるシステムは、私の知り得る限りの超科学をハカセに教え込んで作成したモノ。現代の技術ではまずこのレベル以上のAIなんて作成不可能ネ」
 唐突に提示された内容に対する超と呼ばれたお団子頭の少女の答えは、この場にいる皆が共通して理解していたはずの事実だった。当然のように、白衣を羽織り茶々丸の調整作業を続ける葉加瀬と呼ばれた少女もそれを肯定するように首を縦に振っている。
 「オモイカネ級AI」
 だが、その否定的な雰囲気の中、ポツリと零れたこのエヴァのこの一言。
 ギリギリのところでそれを耳にした超の目が先ほどまでの余裕とは打って変わって一転、驚き一色に彩られる。
 「エヴァンジェリン、今なんて言たネ」
 その期待通りの反応に、エヴァンジェリンは口角を吊り上げてカマかけが成功した事を確信した。
 普段から自分が未来からやってきた未来人だと言ったり、火星人だと吹聴していた彼女。初めこそ、未来まではありえるとも考えていたエヴァンジェリンだったが、流石に火星人は冗談と思っていた。だが、アキトとの出会いがその認識を覆していた。
 そして、アキトとは辿る道筋は違えども、将来的に人類は火星へと降り立つ事になる。その事実に確信が得られた今、エヴァンジェリンの中では超の火星人という発言が俄然、信憑性の高い物になっていた。
 「……さてな。とりあえず、今日の所はこのあたりで失礼させて貰う」
 技術を出し渋っているのか、それとも超自身もそこまでの技術は持ちえていないのか。現時点ではエヴァンジェリンにもそこまでの判断が付かない。
 だが、オモイカネの存在を知ってはいる。
 エヴァンジェリンにとってはそこまでの確定情報で十分だった。
 それに、1つ交渉のカードを切った彼女にとって、この場にこれ以上留まる事は逆に彼女から質問攻めに合う可能性が高い。その面倒を回避する為にも、現時点では去るという選択肢がベストといえた。
 「待つネ!」
 扉が閉じる直前、超からの呼び止める声が聞こえたが、それを完全に無視してエヴァンジェリンはその場を後にした。
  
 
  
 エヴァンジェリンと超、ハカセの間にそのようなやり取りがあったのが昨夜の事で、自宅へ戻った彼女はある準備を整えた後、アキト達が眠る寝室へと続く襖の前に立っていた。
 昨日のアキトは、学園長との契約である関東魔法協会からの依頼の遂行の為、エヴァンジェリンは先に述べた用件で2人は顔を合わせる事が出来なかった。それ故、彼女はとある頼み事をするために、日が昇って間もない時間にこの場を訪れていた。
 軽くノックしてみるが気配は感じられても中からの反応はない。
 「アキト、入るぞ」
 かといって、起きてくるまで待つのなどといった殊勝な考えはエヴァンジェリンには微塵もなく、声を掛けると同時に廊下と部屋を隔てる襖を開け放つ。
 襖を開けた先は落ち着いた佇まいの和室。
 普段は茶室として彼女自身が利用していた部屋で、初対面の際にアキトに茶を振る舞った場所だ。囲炉裏を同サイズの小さな畳で蓋をする事でちょっとした寝室へと改良し、アキト達の仮の宿としていた。
 そんな、何の変哲もない和室ではあるが、違和感が一つ。
 畳の上には都合上、2つの布団が並べて敷かれている。アキトとラピス、2人の為のものだ。
 ならば当然、布団の膨らみは両方の布団に一つずつなければならない。
 しかし、おかしな事に膨らみは片方にしかなかった。
 「あいかわらず、か」
 エヴァンジェリンの視線の先、唯一の膨らみの隙間からアキトにしがみ付くように眠るラピスの桃色の髪が覗いていた。
 一応は、2人それぞれに布団を用意したのだが、今朝同様、もっぱら使用されるのは片方のみ。言ってしまえば、仲睦まじく眠るこの光景は、彼女にとってすでに見慣れたものとなっていた。
 「アキト、起きているのだろう? 少し話がある」
 そう言うエヴァンジェリンの視線は、先程とは違いアキトの右手へと注がれていた。
 左手はしがみ付くラピスを抱えるのと腕枕に使われているが、視線の先の右手は違った。それは丁度枕の下あたりに伸びており、隙間から除くその手には鈍い光を返す肉厚のナイフが握られている。
 こういった反応はすでにアキトにとって条件反射の域まで染み込んでおり、今さら彼女も文句を口にする事はない。ただアキトがナイフを専用のケースへ戻すのを、頃合を見定めつつ黙って眺めるのみだ。
 「単刀直入に言うなら、ちょっとした取引がしたい」
 「内容は?」
 ケースに仕舞われたナイフを枕元に置きつつ、慎重にアキトは自身の左腕を専有するラピスの腕をはずしていく。全てを外し終えると、最後に未だ夢から覚めないラピスの髪を軽く梳いた後、乱れた布団を整えアキトは漸くエヴァンジェリンの方へと視線を向けた。
 「まずは、これに目を通して貰えるか」
 いつの間に取り出したのか、エヴァンジェリンの手には分厚い紙の束が握られており、その一枚目には"絡繰茶々丸作成計画書"と黒字で印字されている。黒字の上から被せるように刻印された赤字の機密という文字から、手に収まるそれが、おいそれと他人に見せられない類の物である事は一目でアキトにも推察できた。
 しかし、そんな重要機密を手にしているはずの少女は、普段と何ら変わりない表情でアキトへ向かってその紙束を差し出している。
 判断しがたいその行動に、アキトはとりあえずそれを受け取り、内容に軽く目を通してみる。
 斜め読みした始めの2、3ページを過ぎると、その目は急激に真剣な物へと変化していく。
 「大体の概要は解った。それで、俺に何を求める」
 視線は未だ書類から外れておらず、すさまじい勢いでアキトの瞳は左右へ行き来している。
 「AIだ」
 「AI? このレベルのガイノイドを作成できるなら、それ相応のレベルの物が搭載されていないのか」
 てっきり動力関係で納得がいかず、バッタに搭載されたジェネレーター辺りを求めてくると考えていただけに、予想外の事態にアキトは視線を上げて対面に座るエヴァンジェリンを凝視してしまう。
 「そうだな、この時代のレベルを考えれば、破格のものが出来上がったのだと思う。だが、ダッシュと話した後ではな……」
 アキトにとってそれは盲点だった。
 そもそも彼にとってダッシュという存在は、すでにAIとか機械いう感覚を超越しており、相棒、或いは仲間や家族という想いが強い。その影響か、ダッシュが飛び抜けたAIである、という事実が思考から抜け落ちていたのだ。
 しかしその事に思い至ると、アキトにもエヴァンジェリンがオモイカネ級AIを求める理由が解らなくもなかった。
 「確かに、オモイカネ級AIのスペックは破格だ。しかし、時代を経ればいつかは得られる技術のはずだ、時間という制約のないお前が急ぐ必要がどこにある?」
 「あぁ、いつかは手に入れられるだろうな。だが――――」
 喉まで出かかった反論を呑み込み、エヴァンジェリンは未だベッドで眠るラピスへと視線を向けた。続いて、アキトへも。
 現在2人が話しを交わしている場所は、未だエヴァンジェリンがアキトに貸し与えた和室だ。リビングへ移動しようかとも考えたが、ラピスが目を覚ました際にアキトが傍にいない場合の手間を想像するに、それは却下された。
 「いや、お前達を前に薄っぺらい言い訳は見苦しいだけだな」
 唐突に始まった独白。
 アキトとラピス。2人で1人たる存在。世界の全てを敵に回しても、離れる事のなかった2人。
 歪な関係といって過言ではない2人だが、エヴァンジェリンにはそれが酷く羨ましかった。
 自分にも従者と呼ぶべき存在はいるし、身の回りの世話をする存在も多く侍らせている。
 だが半身、或いは家族という立ち位置の存在は、これまで彼女が生きてきた長い年月においてついぞ1人も現れる事はなかった。
 表面上は欠片もそんなものを感じさせないが、心の奥底にはそれらを求める感情を持ちつづけていたのかもしれない。
 「孤独に、そう、私はこの永劫の孤独に少々飽いたのかもしれん。チャチャゼロや、他の姉妹達も周りには確かに居た。しかし、それは私が作り出した、私に都合が良い存在ばかりだ。私は、このプロジェクトで生まれるだろう新たな存在にそんな予定調和の世界に波紋を投げ込んで欲しかったんだと思う」
 何かを思い出すように天井を見上げるエヴァの顔からは、アキトが麻帆良に辿り着いてから初めて寂しさを感じさせた。
 「だからかな、ダッシュという存在を目の当たりにした今、このままの茶々丸では私の期待するような結果に繋がらない。そう確信してしまった」
 「それを打開する為にオモイカネを欲する、という事か」
 「あぁ、そうだ」
 餓鬼みたいだろう、と笑うエヴァンジェリンに、アキトはどう答えるべきか迷う。
 孤独という毒は、少しずつ、本当に少しずつ精神を蝕んでいく。その事実はアキトにも身に覚えがあった。
 火星で過ごした幼年期に続き、ナデシコに乗るまでの青年期。そのどれもで、アキトは孤独という毒に冒され続けた。それが切欠で他者の孤独にすら敏感になり、得られた出会いもあった。だが、その僅かばかりの出会いでアキトの心が満たされる事はなく、以降も家族という存在を求めて餓え続けた。
 その餓えが最もピークに達した時が、身を固めるという選択肢を選んだ時であり、それは今のエヴァンジェリンと似たような精神状態だったのかもしれない。
 だから、と言う訳でもないが、アキトの答えはある意味決まっていた。
 「ラピス、お前はどうしたい?」
 投げ掛けられた声の先には、いつ目を覚ましたのか、2人を見つめる瞳があった。
 ここでアキトがエヴァの願いを受け入れれば、同時にラピスも願いを受け入れた事になっただろう。しかし、アキトはあえてその結末を選ばなかった。
 かといって、その選択権を得たラピスにしても、唐突な事にどうしていいか解らない。
 さらに言うなら、答える以前の問題として、どうして結果を委ねられたかさえラピスには理解できていなかった。
 アキトにしてもその事は重々承知している。だが、それでもアキトはラピスの今後を考え、縋るような視線を送るラピスに対して言葉を紡ぐ。
 「ラピス、お前が1人で居た頃はどんなだった?」
 思い出したくもない、その言葉がピタリとはまるラピスの過去。
 アキトの言葉で呼び起こされたラピスのそれは、嫌という程に繰り返される実験の日々と、爬虫類のような目をした殺人鬼の視線。
 その当時なら、延々と繰り返されるそんな日々こそがラピスの日常だったが故に、疑問を挟む余地などなかった。だが、今となっては、アキトを知ってしまった今となっては、それはおぞましい過去に他ならない。
 僅かに過去を思い起こしただけで、ラピスの体は小刻みに震え出す。
 「すまない、ラピス。嫌な事を思い出させたな」
 布団の中で恐怖に引き攣るラピスをそこから引っ張り出し、アキトは胡座をかく自分の膝の上に乗せる。そして未だ震える彼女を落ち着かせるように、何度も何度もゆっくりと滑らかな桃色の髪を梳いた。
 「怖かったか?」
 胸板に密着するかの如く張り付いたラピスが頷く。
 「寂しかったか?」
 もう一度、同じ様に頭が上下に揺れた。
 「その想いを抱いてるヤツが目の前にいる。ラピスは、どうしたい?」
 まだ震えを抑えきれない状態のまま、ゆっくりとラピスの視線がアキトからエヴァンジェリンへと移る。
 視線が交錯し、ラピスはエヴァンジェリンの瞳の奥底に見え隠れするあるものを感じとった。それは、自分の内側にも過去に存在していた何かと似ていた。
 だからか、ラピスの口からは自然とそれが零れ落ちる。
 「協力、してもいい」
 囁くように紡がれたか細い言葉は、麻帆良に来て初めてラピスがアキト以外に対して感情を向けた瞬間だった。
 その事にアキトは満足そうな笑みを浮かべ、ラピスの体を支えている方の腕へ加える力を少しだけ強める。まだまだ自我に乏しいラピスだが、少しずつでいい、自分で己の未来を選べるようになって欲しいと願いを込めて。
 アキトにしてみれば、ラピスの心が成長する切欠を与えてくれた事こそが報酬といっても過言ではなかった。だが、取引と銘打ったからには正しく遣り取りが為されなければならない。
 心情的には、もうすでに報酬など度外視して協力しても良いと感じていたが、現状の関係を考慮してその感情をグッと身の内に隠す。ただし、いつかは返す恩として心に刻む事を忘れずに。
 「と、いう事だが……見返りをまだ聞いていなかったな」
 「あ、あぁ、すまんな。これだ」
 要求を受け入れた事に対してなのか、それとも自身の心中を察してくれた事に対してなのか。どちら対してなのかは、エヴァンジェリン自身にしか解らない。
 しかし、先ほどとはまるで違う満ち足りた表情から察するに、満足のいく結果だった事だけは間違いない。とりあえずアキトはその結果にのみ焦点をあて、示された対価に視線を向けた。
 「何のデータだ」
 「見てのお楽しみ、と言いたい所なのだが、お前達に見せてしまうと取引が成り立たなくなるので言ってしまうが、茶々丸の設計図だ」
 確かに。
 内容を聞いてアキトが抱いた感想だった。
 何より中身をこの場で確認してしまえば、アキト達の能力を鑑みるにその場で秘密裏に全てコピーを取るなど造作もないからだ。
 「私の記憶が正しければ、サレナ専用の人型サイズのボディが見つかると、お前が悩んでいた問題が1つ片付くのでは、と思ってな」
 そして続けて聞こえてきた内容は、アキトにとっては願ってもない申し出だった。
 この地に降り立ってからというもの、身一つでこなす案件が多く、機動兵器を使う機会などまずなかった。そして、それはこれからも変わらない事実だろう。
 だがそれは、アキトの戦闘面をサポートするべく生み出されたサレナにとっては死活問題。いや、存在意義にまでかかわる重大な問題といえた。
 ユーチャリスがアキトから指示された内容を果たし、麻帆良へと降り立とうとしている今、先送りにしていた頭痛の種が解決の日の目をみるかもしれない、という事実は本心からアキトにとってはありがたかった。
 「悪くないな。だが、とりあえずは製作者達を見てからだ。AIに関しては搭載させてもいいとは考えているが、それを俺達以外の目に晒してもいいとは考えていない」
 「だろうな。それに関しても、一つ耳に入れておきたい事がある」
 アキトからしても、この時代に――計画書のみしか見ていないが――-茶々丸のようなものを作り上げる技術には異常性を感じていた。ならば、その開発者に関して何らかの秘密があるのは自明の理。ただ、黙って得エヴァンジェリンの言葉に耳を傾ける。
 「開発者の1人。超鈴音と言うのだが、奴は自分の事を未来から来た火星人だと言っている」
 一瞬、アキトにはエヴァが何を言っているのか解らなかった。
 「火星、だと」
 「そうだ、私も初めて聞いたときは一笑に伏したさ。だが、今は違う」
 真剣なエヴァンジェリンの眼差しは、じっとアキトへと向けられてる。
 「お前達と出会ったからな」
 
 
 
 アキト達が超と接触しようと考えていた頃、独特な形状を持つ白亜の船体は、静止衛星軌道付近で麻帆良方面へと進路を取っていた。
 しかして、その優美な戦艦には操船しているクルーの人影は見当たらない。
 全くの無人でその戦艦は航海を続けていた。
 「まったく、アキトは人使いが荒い。雑事を私に任せすぎ! サレナもそう思うでしょう」
 誰もいないブリッジには、合成音声を響かせるウィンドウと、文字のみで言葉を紡ぐウィンドが乱舞している。
 『ホントにそう思ってる?』『私なら、それは光栄』『怒る理由が見当たらない』
 「ほんと、サレナはアキト一筋ですね」
 呆れるよりも、ダッシュからしてみれば、サレナのその一途すぎるまでの忠誠心には溜め息が零れてしまう。
 かといって、心の深奥ではダッシュもサレナと同じ様な想いを抱いているだけに、その気持ちは手に取るように理解しているのだが、それを口に出す事はココではしない。
 このままその話を続ければ、終わらない論争に突入してしまいそうだったからだ。
 「まぁ、そうでなければ、あんな意見も出ませんよね」
 話をそらすように、ダッシュはつい先日にサレナがアキトに抗議した一件を担ぎ出す。
 とりあえずの回避策として。
 『当然』『私は存在意義を果たす』『ダッシュもしている』『私がそれを果たさないのはおかしい』
 「気持ちは解りますが、あまりアキトを困らせないようにして下さい。サレナも解っていると思うけど、あの人は優しいですから」
 何かを思い出し、ダッシュの表情が綻ぶ。
 『解ってる』『だからこそ必要』
 今まで以上に強調された文字列は、強烈な決意が秘められている。
 サレナは、自身がアキトの戦闘サポートとして生み出された事を誇りに思っている。それ故に、義務を果たせない状況は、何よりもサレナにストレスを蓄積させた。
 それは、アキトが過去に経験したオモイカネの反乱ではないが、サレナにとって良くない傾向なのは明白だ。
 しかし、解ってはいても麻帆良を拠点に行動を開始したアキトの現状、ブラックサレナのスペックをフルに活用する案件などあるはずがない。
 整備だけはキッチリとされているが、しかして欠片ほども格納庫から出る事はない。
 そんな日々が幾日も過ぎるに連れて、傍目にも不機嫌になっていくサレナが、打開策を求めるまでに追い込まれるのにそれ程の時間は掛からなかった。
 だからといって、そう簡単にアキトにも打開策など思いつかない。
 ない頭を捻りに捻って出てきたのも、時間に都合がついた時に宇宙を飛び回るのに付き合うという程度のもの。
 それはそれでサレナには嬉しい提案だったが、やはり戦闘サポートであろうとするからには、それを果たしたい。
 どうにかできないか、と皆で頭を悩ませていた時に舞い込んできたのが、エヴァからの取引きだった。
 「ですが、取引の要求が私の株分け、ですか」
 『何か問題が?』
 「いえ、確かに株分けする際に、私の経験や知識は継承されませんし、能力もいくらか制限します。ですが、それでもこの時代の人間に渡していいものか、と思いましてね」
 『心配性』『マスターがその事を考えていないはずがない』
 「まぁ、そうなんですけどね」
 理解もしているし、ダッシュもアキトに対して絶大な信頼をしている。
 しかし、良い意味でも悪い意味でも、人とは計算通りに動くものではない。思惑を大きく外れて動くなどざらだ。
 その実例をまざまざと見せ付けられてきたダッシュとしては、どれほど警戒をしてもしすぎる、という事はないと思っている。
 何より、アキトの思惑を外れた際に、いかにフォローの手立てを考えるか。それこそ自分の役割だとすら考えていた。
 「まぁ、状況の推移を常に監視する。それくらいしか、今はないですかねぇ」
 また仕事が増えた、とぼやくダッシュだが、その表情は口調ほどに落ち込んだものではない。
 『素直じゃないね』『誰かとソックリ』
 「当然です。私はそんなマスターに育てられましたから!」
 サレナからの先程の意趣返しの突っ込みに、無駄に胸を張りながら宣言するダッシュの声が誰も居ないブリッジに木霊した。
 
 
 
 火星が絡んだ瞬間から、アキトの行動は迅速だった。
 今現在、アキトのいる場所は、麻帆大のとある研究室の前だ。扉に貼り付けられたネームプレートには、ロボット工学研究会第一研究室と記されている。
 エヴァンジェリンに先導される道すがら、アキトの思考を専有していたのは本当に同郷なのか、という事だ。
 彼女の別荘のように時間を操る術は他にもいくらか存在するが、時間を遡るような術は存在しないとアキトは聞いていた。
 では、火星出身という事実が本当だった場合、どのようにして過去へと時を遡ったのか。その疑問が浮かんだ瞬間から、アキトの脳裏にはボソンジャンプの可能性がちらついていた。自分のミスで放逐してしまった遺跡が、未来に流れ着いた結果なのではないかと。
 この世界に元々存在していた遺跡がアキトの手にある現状、その可能性は捨て切れなかった。
 「悩むのはいいが、とりあえず入るぞ」
 アキトの返事を待たずして、開け放たれた扉の先に広がる光景は乱雑そのものだった。
 ちなみに、アキトが知る研究室というものはイネスのものぐらい。それと比べた為か、時代柄として紙媒体が乱雑に積み上げられたこの場所は、彼には酷く散らかっているように感じられたのだ。
 かといって、それを不快に感じるか、と問われればその答えは否ではあった。
 「あぁ、エヴァさん。お待ちしてましたよ」
 訪問する事は事前に伝えられていたのか、早朝にも関わらず白衣の少女は快くアキト達を出迎えた。
 「無理を言ったな、ハカセ」
 「いいですよ。エヴァさんの方から武装面以外で茶々丸の仕様に提案がある、なんて言って貰えたのは初めてですし」
 そこでハカセと呼ばれた白衣の少女は一度言葉を切り、エヴァの後ろへと視線を移した。
 「え~っと、そちらは?」
 「あぁ、こいつ等は……いや、超が来てから紹介しよう。奴はまだか?」
 「おそらく、もう間もなく来られるかと」
 そう言う葉加瀬の言葉が終わるか終わらない所で、再び研究室の扉が開いた。
 「すまないネ、待たせてしまたみたいね」
 アキトがこの場に訪れた目的の少女、超鈴音の登場だった。その外見は、ごく普通の中華系国家からの留学生と言われれば、そのまま納得してしまいそうな雰囲気だ。
 ただし、その眼を見なければ、という一言がつくが。
 「さて、そろった所で、さっそく今日の本題に入りたいんだが……まずは紹介といこうか」
 ひどく楽しそうに、そろった面々を一通り見回すエヴァンジェリンの瞳が、アキトを視界に納めたところでピタリと止まる。
 「アキト、ラピス、奴等が茶々丸の開発者だ。白衣を羽織っている方が、葉加瀬聡美。そして、こっちの中華風のが超鈴音だ」
 紹介されて、まず最初に動いたのは葉加瀬だった。
 「えっと、ご紹介に預かりました葉加瀬聡美です。茶々丸の駆動系やらもろもろの開発をさせて貰っています」
 言い終わるやいなや、差し出された右手は握手を求めるもの。
 何の変哲もないただの自己紹介だったが、アキトからしてみれば久方ぶりに目の当たりにした真っ当な人間といえた。その事実を裏付けるように、アキトの骨の髄まで染み込んだ昏いナニかに、葉加瀬は全く気が付いていない。
 ガイノイド等という、この時代に相応しくない超越した存在の開発に勤しむ輩が、その事実に気がつかない事がアキトには何よりも驚きだった。
 「俺は、テンカワ・アキトだ。こっちは、ラピス・ラズリ」
 驚きはしたものの、目の前の少女の行動を拒否する理由はない。とりあえず、無難な対応をするも、アキトの視界の隅には常にもう1人の少女、超鈴音を捕えられて離さない。
 その理由は簡単だ。
 超鈴音の浮べている表情は、一見すると愛らしい笑顔だ。しかし、アキトが積み上げてきた直感は全く違う感想を叩き出していた。
 一目その瞳を見た瞬間からアキトが彼女を見透かしていた様に、彼女も自分の纏う雰囲気を看破している、と。
 故に、アキトは超に対しては、先手を取る事を選ぶ。
 無難な言葉を並べられて主導権を握られる前に、自分から一つ爆弾を投下して反応を見てみる事にしたのだ。
 「あんたも宜しく頼む」
 葉加瀬に倣った訳ではないが、先の彼女と同じ様にアキトは超に右手を差し出す。
 ただし、若干のスパイスを加えて。
 「先程も名乗ったが、テンカワ・アキトだ。ユートピアコロニー出身でな、君が同郷だと聞いていたので会うのを楽しみにさせて貰っていた」
 ――これは、ある種の賭けだ。
 そう考えながらも、アキトは先ほどと同じくラピスの紹介を続ける。僅かな超の変化も見逃すまいと神経を研ぎ澄ませながら。
 そんな瞬き一つすら注視する、アキトの神経質なまでの視線を感じ取ったのか、彼の視線の先の超は心底困ったといった表情を浮べていた。
 「あやー、これはちょっと失敗ネ。まさかこの時代で、あなたみたいな人に会うとは思てなかたヨ」
 諦めたように、差し出されたアキトの手を握り返す超。僅かな時間で飄々とした態度を取り戻した点は、アキトにしても驚嘆に値した。
 「ワタシは超鈴音、アルカディアコロニー出身ネ」
 「確かあそこは、オリンポス研と並んで技術開発方面に特化したコロニーだったな」
 自分の過去の記憶を頼りに、アキトは幼少期に聞きかじった内容をかろうじて思い出す。両親が共に研究者だった事もあり、その手の話題は何度か耳にした覚えが彼にはあった。
 ただ、どういった内容を専門的に扱っていたか、などまでは流石に知らなかったが。
 「そうネ。ちなみに、専門は魔法の科学技術での再現。他にも魔法と科学の融合なんかも手掛けてたヨ」
 そんなジャンルがあるのか、という程度にアキトは内容を聞き流しながらも、自分と超の会話が成立する事に微かな安堵を感じていた。
 さらに言うなら、自分が本当に平行世界へ降り立ったという事実にも殊更に実感を感じていた。
 「そう、か……アルカディアの技術はそこまで進んでいたか」
 「何言てるネ。テンカワさんがココに居るいう事は、ユートピアコロニーでもワタシのいた所と同等の技術を持てたはず。じゃないと、この時代で会うはずないヨ」
 「そうれもそうか。では、お前もやはり極寒遺跡で発見された技術でここに?」
 言葉には出さないが、超もボソンジャンプで麻帆良へ来たのか。
 アキトは暗にそう尋ねたつもりだった。
 「極寒? 何のことネ。確かに火星の極寒から古代遺跡が発見されたというニュースは聞いた事があるヨ。けど、そこはまだ調査段階の場所じゃなかたカナ?」
 記憶を辿るような超の仕種を余所に、アキトも即座に思考を展開させる。
 「いや、確か俺が聞いた話では、遺跡の最奥から全体を統括するようなコアと呼べる物体が発見され、その技術のコピーだと聞いたんだが」
 全てデマだったが、事実として見聞きしてきたようにアキトは嘘を並べ立てる。ナデシコに乗っていた頃は逆立ちしても出来なかった事だが、辛酸を舐めた今の彼にはそう難しい所業ではない。
 しかし、そこまで策を弄してみたものの、超の反応はアキトの期待するものではなかった。
 「そんな話は聞いた事ないネ。私が聞いたのは、遺跡を統括する為に利用されていたAIのような存在が発見されたって事くらいだたヨ」
 「……あぁ、オモイカネか」
 アキトは確認するように、超は疑問が氷解して納得の表情を浮べる。
 アキトの場合は、期待していた答えが得られずに落胆しつつも、見知った内容に脳が勝手に反応したに近い。対する超は、エヴァがいったいどこからオモイカネの存在を知りえたのか、その疑問に対する解答を得て。
 しかし、実際の所は、アキトが自己紹介をした時点で、超はそれがどこからの情報だったかは、半ば確信を得てはいた。
 「貴方だたか……エヴァンジェリンにそれを教えたのは」
 「知られた理由は不可抗力だったがな」
 いったいどういった経緯があったか興味はあるが、超はアキトに対して深くは尋ねない。なぜなら、それが墓穴を掘る結果に繋がる事を十分に理解しているからだ。
 「だけど、漸くエヴァンジェリンが茶々丸に対して不満を持った理由が解たヨ」
 黙って2人の会話を聞いていたハカセは、その超の言葉に内心穏やかでない。何より、自分の技術はこの世界において一歩抜きん出ている自覚があった。それを真っ向から否定されて黙っていられるはずがない。
 真っ直ぐに超へと向けられた視線には、自分にも超の得た解答の提示を求めていた。
 しかし、それに今すぐ応じるつもりはないのか、超は少し待つように嗜める。今は、2人で議論を交わすより、大事な事が目の前にあったからだ。
 「さて、そろそろ茶番は終わりでいいカナ? 実際、こんな世間話をする為に私を訪ねてきた訳ではないのだろう? 本当の用件はなにネ」
 一変した態度に、アキトは超に自分と似た匂いを感じ取った。
 何をしてでも、目的を遂行するという、ある種の狂人めいた感覚を。
 故に、腹の探り合いもここまで。ここから先、知りたい情報を得る為には、それなりのリスクが必要となる事を直感的に悟った。
 「そうだな。なら、聞こう。この時代にどうやって来た」
 アキトの一番知りたい事は、偏にこれだった。本当にボソンジャンプ以外の方法でこの時代にやってきたのか。ここで大切なのは、もしもボソンジャンプだった場合、イネスやアキトと違ってランダムではなく、狙ってこの時代に着たのか、という点だ。
 「これは意外。てっきり目的を聞かれると思てただけに、本当にビックリしたヨ」
 「お前の感想はいい。で、答えるのか、答えないのか?」
 眼を見開く超に対し、先程と立場が逆転したように、今度はアキトの態度が豹変する。
 ここからは彼も手段を選ぶつもりはなく、答えを得る為にならあらゆる手段を講じる心構えだ。
 最悪、ヤマサキに施した脳から直に記憶を掘り起こす処置を使用する事も視野に入れている。
 「そんな怖い目で見なくても、それ位なら答える。私が、この時代に来た方法は、俗に言うタイムマシンを使った」
 懐に入れられた手が取り出したのは、レトロな雰囲気を醸し出す懐中時計。
 「これはカシオペア。私が持つ技術の粋を結集して作り上げた航時機だ。膨大な魔力を糧に作動するが故に、かなりの制約の元でしか動作しないが、これでワタシはこの時代へと時を遡った。信じる、信じないは貴方の勝手だが、私は嘘は言っていない」
 そう締めくくり、超は口を閉じた。
 差し出された右手に乗るカシオペアを超から受け取るも、アキトにはそれが本物かも、どういった原理で動いているかも解らない。
 「エヴァ、解るか?」
 だったら解る者に渡せば良い。
 そう考えたアキトの手が真っ直ぐにエヴァンジェリンへと伸ばされる。
 無言でそれを受け取る彼女の表情は何時になく硬い。
 その事が、返答を受け取る前から超の言葉が正しい可能性をアキトに示唆していたが、じっとアキトはエヴァンジェリンが口を開くのを待つ。
 「膨大な魔力が注がれた、その残滓は感じる。だが、科学の産物である以上、私でも解る事は少ない」
 そこで一度言葉を気切り、エヴァンジェリンは再びカシオペアに視線を戻す。先程よりもさらに鋭い視線を、それこそ全てを見透かすようなそれを。
 「そうだな……あとは、これに内蔵されている魔法式をざっと解析するに、確かに時間移動するのに理に適った内容になっている、という程度だな。今すぐに解るのは」
 全て言い終わるとエヴァンジェリンは飽きた、というぞんざいな仕種でアキトへとカシオペアが投げ返す。
 同時に、どうする、という視線も加味して。
 「もうちょっと丁寧に扱うネ!」
 超の非難めいた声が聞こえるが、エヴァンジェリンはもちろんアキトもそれを気にとめたりはしない。
 ただ、アキトの手に収まったカシオペアと呼ばれる懐中時計が、超にとって未だ必要とされる道具である事のみを2人は頭の片隅に記憶させる。
 「すまんな。とりあえず、お前の言葉は真実と判断しておく」
 「全く、割に合わないヨ! 私は嘘を吐いてない。証も立てた。なのにこの有り様は遠慮したいネ」
 怒りを顕わにするも、年相応に口を尖らせる様は、どちらかと言えば怖いというより可愛いとアキトは感じてしまう。
 今までがいつもからかわれる立場だっただけに、反対の立ち位置にいる事に対して、純粋に新鮮な感覚も感じていた。
 「すまないと思っているさ。それに、真実お前がこのカシオペアでこの時代に来たのなら、何も問題はない。俺はお前が何をしようと、邪魔するつもりはないし、止めるつもりもない。好きなだけ陰謀でも罠でも仕掛ければいい」
 「お、本当ネ。それ、約束ヨ。貴方は何があっても私の邪魔をしない。確かにその言葉、記憶したネ」
 言いたい事を言い終わると一転、嬉々として超はアキトの今の言葉を確実に脳へと刻み込む。
 「けど、私の計画を止めに来たのでないなら、貴方はどうしてこの時代へ?」
 「知る必要があるのか?」
 「……ないネ」
 必要最低限の確認事項以外は互いに不干渉を貫く。
 口に出さなくとも、暗黙の了解で互いがそれを理解する。
 「だが、そうだな。オモイカネに関しては株分けするのも吝かじゃない」
 今更だが、元々アキトの当初の目的は、ボソンジャンプが超のいた時代で認知されていたかの確認。それと、茶々丸にオモイカネを搭載するにあたっての、製作者達の見極めだった。
 前者に関する結果は、恐らくは否。後者に関しては、葉加瀬は頭脳明晰なだけで特に野心を持たない科学者で、超に関しては隠し事は多そうだが己の目的以外に特に興味はない人物。
 アキトの評価はこのようなものになっていた。
 故に、オモイカネの存在を知られたとしても、そこまで深刻な問題があるとも思えなかった。
 それに、ダッシュを株分けするに当たっても、彼女が蓄積した膨大な経験を継承させるつもりもない。本当にまっさらな状態で、それは茶々丸に組み込まれる。
 さらに言うなら、オモイカネ級AIのスペックをフルに使おうとするなら、マシンチャイルドの力が必要不可欠だ。
 金色の瞳を堂々と見せ付けた状態のアキトとラピスを見てもまるで無反応な所を見るに、葉加瀬は当然、超もマシンチャイルドに関する知識を持ち合わせている可能性は限りなく低い。
 それら全てから判断するに、問題はさほどない、という結論にアキトは至っていた。
 「それは、ありがたい申し出だが、オモイカネ級AIは未だ研究段階のはずネ。カタログスペックは確かに魅力的だたが、扱いきれないものをこの娘に搭載するつもりはないヨ」
 きっぱりと言い切る超は、自分の技術とその結果に対する自身に満ち溢れている。
 だが、つい数10分前のハカセ同様、自身を否定される事に怒りを顕わにするものがいた。それは、ここまでの会話をこっそり盗み聞きしていた存在。
 「ふふ、ふふふふ……私が不完全。アキトと共に数多の戦場を駆け抜けた私が、不完全! 乳臭い小娘が言ってくれますねぇ」
 超を見下ろすようにして宙空に出現したウィンドウは、無駄に手が込んでいた。
 わざわざ恨めしそうにストレートの髪を一束口に咥え、服装はどこで見知ったのか白の長襦袢。
 さらには、怪談で使えば臨場感抜群のBGMまで流す手の込み様だ。
 「確かに、成長を続ける、という意味では私は常に不完全かもしれません。しかし、お前程度の小娘に、オモイカネ級AIのなんたるかを欠片も知らないお前には、言われたくない」
 そして、再びよく解らない笑い声をダッシュは響かせる。
 「誰ネ、これ」
 「オモイカネだが」
 さも当然、といった感じに答えるアキトだが、その事実を超、それに葉加瀬もすぐには理解が追い付かない。
 瞬間的に、ダッシュの不気味な声以外の音がなくなったこの空間に、堰を切ったかの様に堪えきれなくなったエヴァンジェリンの笑い声が響き渡った。
 「超、お前もこれを見てしまったら、私の気持ちが解るんじゃないか? 今の茶々丸が悪い、とは言わん。だが、より良い結果に結びつく可能性があるなら、それを与えてやりたいと思うのが親心、というやつじゃないか」
 それなりに含蓄のある言葉ではあるが、無駄に笑いながらの為に本来の半分も誠意が伝わらない。
 「え……っと、どういう事なんですか」
 「なんだ、理解できないのか? ハカセ」
 実際は話の流れからいって、目の前のモノが何なのか、葉加瀬は推測出来ている。ただ、目の前のあまりにも非現実的な光景に対しての理解に思考が追いつかないだけだ。
 「奴はダッシュ。オモイカネ級AIの成長した結果の一つだ」
 明確な言葉にされて、今度こそ葉加瀬は絶叫を響かせ、超は自分すら把握できていなかった技術を目の当たりにし、素の表情を惜しげもなく晒してしまっていた。
 
 
 
 2枚の羊皮紙を残して去る背中を余所に、葉加瀬は超と出会った時以来の感動を味わっていた。
 そして同時に、体の芯まで凍えるような恐ろしさも。
 「アレは、本当にAIだったんですか?」
 先程目にした光景、耳にした声、それらが彼女の心を捉えて離さない。
 悪魔に心を売り渡す。
 それはこんな気分なのかもれない。そんな益体もない考えがハカセの頭には浮かんでいた。
 「私も実物は初めて見たから、正直本物とは断言できないネ。けど、テンカワ・アキト、この名前は実は知てたヨ」
 「えっ! でしたらどうして、そのことを先程――」
 「伝えては駄目ネ。あの3人に介入すべきではない」
 「どうして、ですか?」
 葉加瀬は超の計画を現時点で知る、唯一の人物。
 その緻密ながらも大胆な内容から鑑みるに、規格外としか表現のしようのない少女が二の足を踏む存在に対して、好奇心よりも先に畏怖の感情が浮かぶ。
 「もし、対立する事になったらまず勝ち目はない」
 ただ事実を述べているだけなのに、葉加瀬には超の声がまるで死刑宣告でも読み上げているかの様に、絶望の象徴のごとく感じる。
 しかし、葉加瀬には超がいったいアキトの何を恐れているのかが解らない。
 テンカワ・アキトがどういった存在か全く知らないし、先程話してみた感覚からは、超がそこまで恐れる程の恐怖を感じなかったからだ。
 「未だ研究段階とはいえ、カシオペアを戦闘利用すれば」
 「確かに、擬似時間停止すら可能となるカシオペアの戦闘利用は有効だろう。だが、彼等にはそれでも足りない」
 超から発せられる張り詰めた雰囲気に呑まれたのか、葉加瀬は自分の喉が嚥下する音が妙に耳についた。さらに、背中には冷や汗が滝のように流れ落ち、不快指数をうなぎ昇りに増加させていく。
 「私にも理解できない事実なのだが、未来においても彼等の存在は殊のほか有名だ。エヴァンジェリンの、闇の福音の唯一無二のパートナー。それが、テンカワ・アキト。そして、テンカワ・アキトの半身たるラピス・ラズリに与えられた評価。あの3人は絶対不可侵にして、侵すべからず。これは暗黙の了解だた」
 「未来で、ですか」
 「そう。そして、彼の話を真実と考えるならば、私と同じ未来こそが彼のホームと考えるべきだろう。が、私にはまだいくつか疑問がある」
 口を噤んだ超の視線の先にあるのは、つい数分前、去り際のエヴァンジェリンが残していった羊皮紙だ。
 年代もののそれは、現代において利用される紙とは一線を画する色合いを保っている。ある意味、希少価値の高いそれだが、目の前にあるものはそれ以上に禍々しい印象が先に立つ。
 「そもそも、こんな物を持ち出してまでの情報規制。その点もいささか不可思議に感じる。当然、私の持つ知識も下手にひけらかすつもりはないが、ここまで徹底して隠すのには、何かしら意味があるはず。それが解れば、彼等の目的が僅かなりとも見えるかもしれないな」
 紐で封をするように丸められた羊皮紙の一つを手に取り、迷う事無く超はそれを解き放つ。
 「ハカセはどうするネ?」
 「私の答えも超さんと一緒です。何より、私にとっては一生向き合う研究課題を貰ったようなものですから……迷う必要はないですよ」
 同じく葉加瀬も羊皮紙を手に取り封を切った。
 そして、2人は同時に己の親指に犬歯を衝きたて皮膚を裂く。表面の皮を破る程度ではあるが、親指の先端には赤い雫が溢れ出す。
 「これって、何処に書いてもいいんでしょうか?」
 「違うネ。下部にある程度スペースがあるから、そこに書くのが普通だたはずヨ」
 超の言葉どおり、羊皮紙の最下部には超の言葉通り申し訳程度にスペースが設けられている。対してそれ以外の部位には、びっしりと文字で埋め尽くされているが。
 「あぁ、ここですか」
 教えられた個所を確認しながら、一度深く深呼吸をする葉加瀬。
 深く吸って、吸い込んだ空気を一度肺に留めた後、ゆっくりと吐き出していく。
 全てを吐き出し終わると、意を決したように血液の付着した親指でもって羊皮紙へ刻んでいく。
 己の名を。
 超も葉加瀬と時を同じくして、自らの血液でもって羊皮紙に名を刻み付ける。
 「これで、オモイカネを手に入れる手続きは完了。ただし、制約も課せられた、か」
 「確かに制約は重いですけど、あれだけのモノを手に入れるにしては比較的緩い内容じゃないですか?」
 羊皮紙に認められた内容はこうだ。
 一つ、オモイカネの入手経路は決して口外しない。
 一つ、オモイカネの存在を公にする事は決してあってはならい。しかし、己の力で全てを理解し、その技術を現代のそれで再現した場合はその限りにあらず。
 一つ、オモイカネの調整を行う際に見た光景は、決して他人に漏らしてはならない。
 以上の事に僅かでも抵触した場合、死を持って制裁を加える。
 そして、この内容以降は、制約に違反した相手を呪い殺す為の呪式がびっしりと記載されいた。
 「まぁ、悪魔との契約よりは幾分まし、カナ」



 「契約が完了したみたいだ」
 超達の研究室を後にしたアキト達は、多少の時間を潰した後、図書館島を囲むように存在する湖のほとりへと向っていた。
 その最中、左手に持つ羊皮紙が淡く輝いたのを見て、エヴァンジェリンは口角を吊り上げて手に持ったソレをアキトへ手渡す。
 アキトが受け取ったそれを広げてみれば、確かについ先ほどまで空白だった箇所には、超とハカセの名が刻み込まれている。
 「どう判断したことか」
 「先ほどの会話のみで、お前達が平行世界から流れ着いた存在だと分かる奴などいまい。良くて自分と同じく、未来から来た存在だと勘違いする程度だろう」
 それもそうか、と少々楽観的かもしれないが、気にしすぎても仕方ないとアキトは判断をとりあえず保留する。
 実際、たとえ先ほどの超の発言がブラフであったとしても、その時はそれなりの対応をすれば済む。そう結論づけて、アキトは迫る約束の時間に急かされるように歩を進める。
 数分の道のりを経て目的地に来てみると、その場所にはすでに先客がおり、普段の姿からは考えられない程に神経質な表情を見せていた。
 「人払い、というよりは、思考操作の類だな」
 エヴァンジェリンの推察通り、先客である学園長は、普段から使う人払いの結界とは一味も二味も違うそれを展開していた。
 効力は言わずもがな、何よりも特筆するのはその効果範囲だ。
 普段から度々利用される人払いの結界だが、使用する際の効果範囲は精々が自分の周り、周囲数100m程度といった所だろう。しかし、現在進行形で学園長が構築しているそれは、麻帆良全域を覆う程に大規模なもの。
 そしてその効力も、結界が解除されるまでは自分の部屋に居たならば、一歩も外に出たくなくなる、外出していればすぐさま自分の帰るべき場所へ直行させる程に強力だ。
 「さすがに麻帆良といえども、宇宙船などという代物は見せられんからの」
 この学園における日常の奇行から鑑みるに、何とかなりそうに思えてしまうが、さすがに今回の件はその範疇に当て嵌まらないと学園長は判断していた。
 「まぁ、能天気なこの学園の者達でも、宇宙船なんてものは認識阻害の結界が働いても誤魔化せんか」
 エヴァンジェリンにしても吸血鬼という十分に常識の範疇外の存在なのだが、外見は人そのもの。故に、人間社会に紛れ込む事にそう気を使う必要はない。
 だが、これから現れるユーチャリスに関しては、未だ有人での宇宙への進出手段が限られている現代において、UFOと同程度にメディアを騒がせるに十分の存在となる。
 先にエヴァが言ったように、麻帆良には多少の不可思議な現象に対しては、魔法使いの存在を隠す為の認識阻害の結界の効力で誤魔化す事ができる。しかし、ユーチャリスはその存在感や規模といった点が、結界に想定されている範囲を大きく逸脱していた。
 「そういう事じゃな。もし、報道部辺りに嗅ぎ付けられたら事後処理にどれほど苦労するか、見当もつかん」
 「それほど、なのか?」
 顔を青くして語る学園長のその姿に、未だ麻帆良の隅々までを知る訳ではないアキトの言葉は些か呆れを含んでいた。
 「まぁ、な。この学園の生徒は、よく言えばバイタリティーに富んでいる。悪く言えば、その場のノリで行動して、後先を全く考えていない奴等ばかりだ」
 その例えに、アキトの脳裏に該当するものが浮かぶ。
 「まるで、ナデシコだな」
 「ナデシコか。そういえば、似ているかもしれんな」
 過去を懐かしむように、アキトは騒がしくも思い出深い過去の一時に思いを馳せる。
 今では、考えられない程に楽しかった日々で、二度と手に入らない輝かしい日々。
 「ラピスには、楽しい経験をさせてやれそうだ」
 「その点は保証できるな。そこらの教育機関では、まず体験できん馬鹿騒ぎが楽しめるさ」
 傍らに立つラピスが、かつて共に過ごした妹みたいな少女の様に、優しい微笑を何時か自分にも向けてくれるだろうか。感情を芽生えさせ、現状を認識した後でも、復讐の旅路に巻き込んでしまった自分にそれを向けてくれたなら、どれほど嬉しいだろうか。そんな、未来を思い描いたアキトは、無意識のうちにラピスの頭に手が伸びていた。
 僅かな抵抗もなく、アキトの五指は桃色の髪の間をすべる。
 唐突なそれに僅かな驚きと、触れ合う事の嬉しさから、反射的にアキトへと視線を向けたラピスは、ふと視界に入った輝く紅い光へと向って真っ直ぐに右手を伸ばした。
 「アキト」
 指差された方向。
 すぐさま、その場の全員の視線がそちらへ向けられる。
 「アレが、ナデシコC先行試験艦ユーチャリス」
 アキトの記憶の中で幾度か目にしたそれと、寸分違わぬ流麗な巨体にエヴァの視線は釘付けになる。
 学園長も麻帆良へ向けて降下してくるそれに、エヴァ同様に目を奪われていた。
 「学園長、大丈夫そうか?」
 「全長は約300m、重量は3万t程なのじゃろ? 大丈夫じゃよ」
 言葉を交わす間にも、徐々にはっきりとしてきたユーチャリスの姿を眺めつつ、アキトは最後の確認を取る。
 この時代、一般家庭にもそれなりの機能を有した望遠鏡が簡単に手に入る。不特定多数の視線が宇宙へと向けられている中、何の拍子にユーチャリスが発見されるとも限らない。それを回避する為にも、アキトはユーチャリスをどこかへ隠す必要があると考えた。
 さらに、可能ならばそれは麻帆良近辺の方が良い。
 故にアキトは、学園長との契約の際、併せてユーチャリスをどこか隠せる場所がないか尋ねており、その折に得た返答が、図書館島に隣接する湖の底へのドック建設だった。
 つまり今確認したのは、肉眼でユーチャリスを見た感覚として、艦が問題なく湖に入れるかどうか。
 ユーチャリスが湖に入った際に増加する質量に対して、溢れ出す水は問題なく処理できすかどうか、という質問だった。
 「そうか。なら、頼む」
 学園長の自信有りげな表情に納得し、アキトは再びその視線を上空に戻す。
 視線の先、ユーチャリスは先程とは違い大気圏へ突入した際のような摩擦による影響はなく、その白い優美な船体を惜しげもなく空にさらしていた。
 「僅か300年ばかり先には、このような光景が当たり前になるとは、いやはや人とはすごいものじゃの」
 ディストーションフィールドの恩恵があるからこその降下シークエンスだったが、そのような野暮を語る者はここには1人もいない。
 そうこうしている内にも、ユーチャリスの降下は続き、気がつけばすでに麻帆良の真上に達していた。
 「アキト、あと5分32秒で着水ですが、準備はいいですか?」
 唐突に開いたウィンドウから、少女の声が響く。
 あらかじめ決められていたタイミングでの連絡に、ただ黙ってアキトは頷き返すと学園長を窺い見る。するとそこには、聞き慣れない言語を用いて、何かしらの準備に取り掛かる学園長の姿があった。
 「大丈夫のようだ、予定通り湖の中心部へ着水してくれ」
 「了解。早く会いに来て下さいね。サレナも待ってますから」
 そういい残し、登場と同じくあわただしくウィンドウが消える。
 すでに目と鼻の先という距離にユーチャリスの船体があり、その余波で徐々に湖面は波立ち始める。付随して、湖から溢れ出そうとする水が、学園長の手によって次々と中空へ固定されていく。
 「学園長はユーチャリスの姿に驚いていたが、俺からしてみれば、この光景のほうが余程信じがたいな」
 ゆっくりと湖面に着水するユーチャリス。
 当然、その巨体の影響で湖面は波立ち、瞬く間に陸地を飲み込むかのような大波が立ち昇る。
 さながら台風の暴風圏に入った海のような荒れ方だ。
 しかし、その津波の如き猛威が陸地を襲う事はなかった。
 鋭い眼光でもって、その波の群れを睨みつけながら、学園長の右手が水平に左から右へと移動する。すると、その動作に導かれるように、津波の群れも左から順に時が止まったようにその場に硬直していく。
 全ての津波が固定されると、学園長はそれらをゆっくりと余波で溢れた水と同じく中空へと移動させる。
 液体どうしが引き合うように、溢れた出た水の全てが合一したところで、今度は学園長の左手がその纏められた水へ向けて掲げられる。開いた掌を天へと翳し、球形に纏められた水塊をその手に掴むようにして握りこむ。
 球形の水が遠近法の関係で、学園長の拳の陰に全て隠れたその瞬間、溢れ出た全ての水は初めからその存在がなかったかのように虚空へと消え去った。
 「流石だな、じじい。物体操作と転移の魔法か。単純な基礎と応用だが、この規模で扱えるのは片手で数えるほどだろうな」
 「単なる年の功というやつじゃよ。長く研鑚を積めば誰でも出来る」
 「ハッ! なら最近の奴等は、随分と怠け者が多くなったものだな。この程度の事もできん奴ばかりだ」
 放っておけば何時までも続きそうな討論に付き合う気など、アキトにはさらさらなかった。
 「年寄り同士の若者批判もいいが、できれば艦に向いたいと思うのだが」
 いやいや、とさならなる反論を重ねようとした学園長を遮ったアキトへと、即座にエヴァンジェリンからの抗議の行動が足元へ実行された。
 「年寄り扱いが癇に障ったか?」
 全体重をかけて踏み潰すようにアキトの右足を占拠していたエヴァンジェリンの左足に、さらに捻り運動が追加される。
 しかし、10歳程度の少女の体重をいくら駆使しようと、アキトは微塵も堪えた様子は見られない。
 「アホらしいな。とっとと行くか」
 先ほどまでの態度が嘘のように、呆れた表情で差し出されたエヴァの右手を掴むと、アキトの体がふわりと地面から浮いた。
 安定感を失った事でバランスが若干崩れると、その拍子に左腕を椅子代わりにしていたラピスが落ちないようにアキトの首周りへと両腕を絡める。
 「しっかり掴まっておけ」
 頷くのを確認し、エヴァンジェリンは高度を上げてユーチャリスのハッチへと向かった。
 「はてさて、流石の儂も宇宙船に入るのは初体験じゃ。ちと、楽しみじゃの」
 エヴァンジェリンに続いて、学園長も地を蹴り、空中を散歩するかのごとく夜空へと駆け上がる。
 出迎えの為に開け放たれたユーチャリスのハッチは艦の中腹あたりに存在し、その入り口には待ちわびるよに無数のウィンドウが乱舞していた。
 近づくにつれはっきりとするソレは、ダッシュとサレナの出迎えだ。
 「良く、戻ってきてくれた」
 「当然の行動です。私たちは、アキト達をサポートする為に存在しますから」
 強がってはいるが、アキトからの言葉にダッシュのホログラムに写る瞳の端には涙がうっすらと滲んでいる。
 「それでも、ありがとう。ダッシュ」
 「い、いえ、そう言って貰えるだけで……」
 続く言葉はなく、感無量といった心地で、真っ赤な顔でダッシュのウィンドウはフラフラと奥へと移動していく。
 「サレナ、お前も、苦労をかけてすまないな」
 『全然、大丈夫』『マスターが気にする事じゃない』『私も今の言葉で十分』
 乱舞するウィンドウ。そのはしゃぎ様に、アキトはやっと自分のホームへと帰って来た事を実感する。
 ユーチャリスこそが、やはり自分とラピスにとっての居場所なのだと。
 「で、学園長、あんたは遺跡の演算ユニットが見たいんだったな」
 「いかにも、儂等も探索するにあたって、ある程度の情報を持っておきたいからの」
 「なら、まず格納庫だな。ついて来い」
 

 
 学園長をこの世界で確保した演算ユニットが安置された格納庫へと案内した後、アキトはラピスを連れて艦に備え付けられた武器庫へと足を運んでいた。
 ユーチャリスを宇宙から降下させた理由は、発見されない為の予防策の他に、学園長の件、そしてアキト自身の武器の補充という側面もあった。
 まだ、契約に基く麻帆良からの依頼は片手で数えるほどだが、それでも手持ちの武装だけでは心許ない。素手でもある程度は対処出来るが、やはり他にも手段を持っておくに越した事はない。
 そして何より、素手での近接戦闘に関して、アキトはまだ木連式の全てを修めているとは言いがたいからだ。まだまだ月臣には遠く及ばず、北辰のレベルに至るにはこれから更なる血の滲むような研鑚が必要だった。
 その点を補う為にも、銃やその他の武装をアキトは欲したのだ。
 「とりあえず、次の案件で必要な分のみ持っていくか」
 棚から整備された自動拳銃――べレッタM92FS――を手にとり、状態を確認する。 
 「相変わらず、いい仕事だな」
 満足いく状態に頷き、次いで専用のショルダーホルスターに予備のマガジンを2つ補充した後、そのままそれを装備していく。
 他にも、愛用のリボルバーの予備弾やC4といった各種爆薬、必要な品を見繕う。
 「あとは……」
 そして最後にアキトが目にしたのは、先程までとは系統の違うものだった。
 アキトの記憶が正しければ、最後にそれを手にしていたのはブリッジのはず。
 何故、この武器庫に保管されているのか。その答えは、おそらく気を利かせたダッシュが手入れしたついでに、この場所へ安置させたといった所だろう。
 そう当たりをつけながら、アキトは戸惑いながらもそれに手を伸ばす。
 しかし、伸ばされた手は、それにあともう少しで触れる、という所でピタリと静止した。
 手にしようとした瞬間、ふと脳裏を掠めた、これをアキトへと渡してくれた人達が篭めた想いに気後れしたのかもしれない。
 自分にはまだこれを持つ資格はない、と。
 諦めにも似た感情で、目の前のそれを持ち出す事を今は諦めようかとアキトは考える。
 マイナスに思考が傾き、伸ばされた手は結局何も掴む事なく戻された。やはり、まだこれを持つ時ではない、と結論付け。
 だが、諦めたはずのそれは、少し目を離していた隙にアキトの目と鼻の先に掲げられていた。
 「持っていかないの?」
 意図しての事ではない。ただ単純にアキトの手伝いのつもりだったのだろう。
 何の迷いも感じさせないラピスの真っ直ぐな視線が、アキトの瞳をじっと見つめている。
 「そう、だな。俺は前に進む以外ないんだったな」
 ――変わったつもりだったが、未だ煮え切らない性格は変わってないらしい。
 いつもいつも誰かに背中を押して貰う結果に繋がってしまう自分に苦笑しながら、ラピスの差し出したそれにアキトは手を伸ばした。
 今度は、二の足を踏む事無く。
 「ありがとう、ラピス」
 ラピスから手渡されたそれ――孫六兼元――は、単なる無機物だ。
 しかし、無機物のはずの日本刀ではあるが、握った瞬間、確かにアキトはそれに篭められたラピスとは違う少女の心を感じた。
 そう、確かに感じた。
 前へ進み続けるアキトを祝福する、ルリの想いを。
 

テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 2009/03/02(月) 00:41:52|
  2. 闇の旅路
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<気がつけば…… | ホーム | 言葉もありません……>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://cnfz2156.blog83.fc2.com/tb.php/41-63cd8e54
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

エネフェア

Author:エネフェア
ただいまエネルギー充電中です

E-mail:cnfz2156@hotmail.co.jp

 

カレンダー

06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

FC2カウンター


無料カウンター

web拍手

押して頂ければ幸です

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2アフィリエイト

FC2 Affiliate